Vol866

義理の母が亡くなった。27日木曜日の早朝のことだ。特別養護老人ホームに入居していてずっと元気に過ごしていた。この夏も会いに行ったときに熊本地震のことはじめ、いろんなことを話したものだった。身内のことがわからなくなってからも、何故か私のことだけはわかってくれて、名前を呼んでくれていた。10日くらい前から容態が悪くなり、病院に転院し状況を見守っていたのだが、27日の早朝天に召された。

バタバタと時間は過ぎていったが、私のために気持ちを砕いてくれたことが数々思い出され、まだその辺にいてくれるような気もする。自分自身の両親はどうかというと、年を取って身体にあちこち不具合はあるようだが幸いなことに元気で過ごしてくれている。この年になると、お別れをしなくてはいけない人たちが少しずつ増えてきて、やりきれない思いをすることも結構ある。まあ、人間として生まれてきたからには避けられないことなのだが、やはり寂しい。だれかか「なくなった人のことが生きている人の話の中で出てくるうちは、まだいい、まったく話に登場しなくなったときが本当に故人となるのだ」と、生きていくと出会いもあれば別れもあるわけでそれが宿命なのかもしれないが、忘れないことが必要なのだと今、あらためて思う。順番にやってくるその時を、どう迎えるのかそれもまた大切なのだ。

義父(旦那)を早くに亡くし、女手一つで、二人の子どもを育てた義母は、とても厳しい人だった。それでも妻と一緒に里帰りをすると、いつも冷たく冷えたビールを真っ先に持ってきてくれて、一杯呑んでいい気分で近くのホールに気晴らしに行く私を、いつも優しく見送ってくれた優しい姿が、忘れられない。いつもそばで見ていてくれると信じている。