Vol.676

昨日は成人の日だった。各地で成人式が行われたようであるが、成人を迎えられた皆さんに心からお祝いを申し上げたい。私が思うに、大人というのは自分自身を律することが出来る懐の深い人物のことである。自分がそうなり得ているかというと、図体だけでかくなりやがってのパターンであることは全く否めない。

例えば、年末年始のお話は先日した通り好調であったのだが、その後がよろしくない。よろしくないの連続だ。これも先週お話しした通りである。どうも私は調子に乗りやすい性格の様で、困ったものである。正月が明けて比較的ゆっくりした時間を過ごせたので、必然調子の良かったホール探索に出かけたのだ。

で、前回お話ししたように、こっぴどくやられたのである。それでも時間が少しあるとまた出かける。しかも近場ですまそうとする。これもまたよくない。実は3日の日に予期せぬ大勝ちをしたときに、貯玉もしていたのだ。
私の友人に、貯玉を繰り返している人がいてその人はいっさい手に持っている現金を使わず、大勝ちしたときの玉を貯玉して上手に遊んでいられることを聴き、私も見習いたいと思ったのだ。確かにそうだ。
予期せぬ大勝ちというのは、予期せぬことであるから、元々無かったものとして貯玉をするというのは、至極理にかなったことであると思う。これを使って上手に遊ぶことができれば、その貯玉の範囲内で繰り返し楽しめる。
貯まってゆけば交換を少しずつしながら、上手に付き合っていく。大人の男だと思った自分を律すという部分もお手本にしたい方なのだ。
(まあ、そんなところからしか大人だと感じぬことは残念なことだが・・・だってその方は、ほかにもとても大人だと思えるところや瞬間は沢山あるのだが、そ、そんなところでって感じで、深くうなずいてしまう自分が悲しい。)

だから、その貯玉を持ってそのホールに足を運べばよいのだ。勝ち負けは別にして・・・。どうしても、打ちたいという願望の方が勝ってしまい、近場に出かけてしまう私がいるのだ。

今年成人を迎えた皆さんはそのようなことが無きように本当の意味での「大人」を目指していただきたい。くれぐれも、私のような人物を見習わないように・・・。健闘を祈る!